「かに食べに行こう」という母からのお誘いで、山陰の温泉地、城崎に。
夫にしばしの暇乞いをしたのち、小さなかばんに下着だけ詰めて勇んで出立。
仕事で疲労困憊の夫に、「本場のかに」と「かにみそ」と「日本酒」を買ってくる。なにがなんでも買ってくる。待ってて。
神戸から城崎までは、電車で3時間とちょっと。

本当はタイヤにチェーンをぐるんぐるんに巻いた車でブーと行く予定だった今回の旅。
しかしながら、兵庫県北部の日本海側は近年まれにみる積雪でもって路面はたいへんに危険な状態だと、雪に不慣れな妻に運転はきびしいと、車での城崎行きを聞いたひと全員が必死になって止めるので断念。
この際列車の旅を楽しむべく特急には乗らずに、乗り換え乗り換えの各駅停車の旅路。山深くなるにつれ、風景もどんどんと白。
乗り継ぎの駅のホームでぼんやりと待っていたらやってきた赤い列車はなんと一両しかなかった。旅情、大爆発。
一両ぽっちの列車に揺られながら、母はかばんから「天津甘栗」の袋をがざーと出してきて「栗食べる?」と聞いたのだった。さすが。母は旅のなんたるかを知っている。どうあるべきかを知っている。

栗を食べ食べ城崎駅に到着。
連休の最終日とあってか駅前はにぎやか。大通りにはおみやげもの屋さんや魚屋さんが並んでいて、観光地ならではの風情がとても良い。

川沿いの古い温泉街をそぞろ歩く。
ところで妻は雪道対策として、鉄板入りのいわば長靴のような大きめのエンジニアブーツ(重い)を履いてがろがろと歩いていたのだけれど、それを見た母が「雪道といったらこれよ」と、じぶんの履いていた一見スニーカーのスノートレッキングシューズを自慢。
足首をきっちりと固定し、ちゃんと底には滑り止めもついていて非常に歩きやすいのだそうだ。さすが。やんややんやと旅慣れた母を褒め称えていた直後にそれは起こった。

前を歩いていた母の足元からべがっとなにかが外れたので下を向いてみると足型が。おかあさん!靴底!
母も振り返ってびっくり仰天。久しぶりに履いた靴なもんだから接着面が固まって弱り、歩いて反らせた拍子にはがれてしまったのだった。かあさん。まだ着いたばっかりなのに。あんなに誇らしげだったのに…。

そぞろ歩き早くも中止。
靴底片手にすみやかに大通りに取って返し、靴屋さんを探す旅に。妻は、蒸かしたての「温泉まんじゅう」を買い食いしながらついていく。
しかし街には「雨具店」などしか無く、最悪「ゴム長靴」(黒くてピカピカしている)を買うしかないのかとあきらめムード。それでも親切な街のひとに聞き込んだ結果、小さな靴屋さんを教えてもらって見事に発見。かあさん良かったね。

母は機能的で軽くて歩きやすい靴を買う。
はがれた靴底を持って事の顛末を話すとお店のおばさんは「それはそれは」と同情的な顔つきになり、「でも案外そういう方いらっしゃいますよ実際」と言った。雪国に行くのだーとはりきっていつもと違う靴を履いて思いもよらない目にあうひとはわりと居るとのことだった。そのひとりが母だ。妻は観光地に靴屋さんがある意味がちょっとわかった。靴はとてもだいじ。
そんなこんなで母は「黒いゴム長靴の刑」はまぬがれ、しかもはがれた靴も処分してもらい、靴代までまけてもらった。どうもありがとう。
すがすがしくそぞろ歩き再開。

城崎は1400年前からお湯がこんこんと湧いて出ているらしく、「外湯」発祥の地なのだそうだ。
なるほどこんな小さな街に外湯は七つもあり、それぞれに歴史や名前の由来があって情緒豊かでそれを眺めるだけでも楽しい。昔の旅人だったなら、日本海に抜ける直前にこんなこじんまりとした温泉街を見つけたらきっと嬉しいだろうなあと思う。そりゃあ志賀直哉だって気に入る。

いくつかお湯を堪能したあとで宿入り。
母は毎年かにを食べにここ来ているらしかった。母曰く「ここはすごいよ」「最終的に横にしか歩けないくらいになるよ」とのことだった。期待大。

そして蟹。
母のいうとおりほんとうにすごかった。出てくるものすべてかにだった。大きくて甘い、生だったり茹でたり焼いたり揚げたりしたかにがひとり4匹分以上出てきた。かあさん。こんな良いもの毎年食べてたのか。
妻と母は無言で、ぱきぱきと音を鳴らしながら2時間半もの間、お箸を机に置くこと無く延々と食べ続けたのだった。

酔っ払うとなんでも愉快になってしまう妻と母。
お風呂でさらに酔いを回し、どうでも良いことでげらげら笑いながら満腹なのにまた母の持参した「天津甘栗」を食べ、気を失うように就寝。
女のふたり旅はこわい。

朝。宿を出てふたたび街へ。
本日はロープウェイでもって山の上に行きます。てっぺんには街を見下ろす展望台と小さなお寺がぽつんとあるだけなんだけれども、雪あそびができるかもしれない。
豪雪地帯に住む方はほんとうにたいへんだと思いながらも、瀬戸内に住む妻としてはやっぱり雪は珍しく、とても嬉しい。

ゴンドラの窓にへばりついて景色を眺める。なぜか妻はこの景色を知っていた。この妙な既視感はなんだろう?と首をひねりつつ、母に「この風景見たことあるなあ」と言うと一緒にゴンドラに乗っていた係員のおじさんが「NHKのライブカメラが山の上にくっついてるよ」と教えてくれた。
なるほど。「兵庫県北部の今のようすです」の映像だったのだ。妻は合点がいった。
ゴンドラを降りると一面の雪景色。見るべきものがあまりないのでこんなところに来る酔狂はほとんど居ない。静かでいいぞいいぞ。
ふと遠くを見ると、雪の中から青いものがのぞいているので行ってみる。

わあ。埋。
道案内の小坊主が顔だけ出していた。頭の青々しさがなんともシュール。坊主の頭の横に立ってぱちぱちと写真撮影。

おんぼろの小屋みたいなお寺でおみくじを引く。
お寺は無人で、「お守り」も「おみくじ」もすべて料金箱方式。敷かれた畳は反り返って端が腐り、天井なんかは穴がどーんと開いていた。誰か。誰かお手入れを。
引いたおみくじは、「災いみずから去り、追い風に乗って進む舟のごとく喜びごとがありましょう 大吉」だった。
みくじといっしょに金色の小さな幸運の神様であるところの「布袋さん」が付いていて、これをお財布に入れておくと良いのだそうだった。
「布袋さん」の背中に大きく「布」と書かれてあるのがとくに良かった。

雪だるまを作るべく、誰も足を踏み入れていない地帯に勇ましく乱入。
何歩か歩いたところで突然左足を踏み抜いて、脚のつけ根まで雪に埋まる。ぬ…。もがいても抜けないので助けを求めて遠くにいる母に「おーい」と手を振ると、母も笑顔で「おおーい」と手を振り返してきたのだった。
かあさん。違う違う。

そして作った雪だるま。
母とともに「うさぎにしようか」とか「今年は犬でいこうか」とかやってたらなんだかよくわからないものになってしまった。そのへんにあった松葉で「目の部分」と「ひげ」を表現。母のマフラーを巻いて完成。
しかし母が「なんだか眠そうな雪だるまよねえ」「目になるものはないかしらねえ」と言うので探す。唯一目になりそうな「松ぼっくり」を取ろうと必死で腕を伸ばしていると、母はかばんからがざーと袋を取り出して「あったあった」と言った。

そして「天津甘栗」。
そういえば母は先程も川で浮いていた「鴨」に甘栗をぱきぱきとむいて砕いてあげていた。甘栗は水に浮かず、すぐに沈んでしまって「鴨」はちょっと困っていた。
母はなんでもかんでも「天津甘栗」で済まそうとする。
いよいよ完成かと思われた矢先、「なんか弱々しい雪だるまよねえ」と母から再注文。

妻が松葉の眉をきりりとさせると勇ましいかんじの雪だるまになった。母も満足。
仲良く写真を撮ったあとにお別れを告げる。

ロープウェイの係のおじさんが「景色の良いところに顔出し看板がございますのでぜひご利用ください」と言っていたのでもちろん利用する。
顔出し看板はどうしてこんなに顔を出さずにはいられないのだろう。妻は全国の顔出し看板から顔を出していきたい。

遊びつかれてお茶屋さんで一服。
お店のひとに「これをあちらで好きなだけ焼いてくださいね」とだんごを渡された。ちりちりと焦げ目がついてとても素敵。
しかし無常にも下りのロープウェイの発車時刻が迫り、熱々のだんごを半ばのむようにふがふがと詰め込んで駆け足。旅情もへったくれもないかんじ。

城崎のそこらかしこには「足湯」ができる場所があって、みなさん気軽に足を浸けているので母と妻もやる。
入った「足湯」はふたり分づつ石で区切られており、前の「かえる」が口からホーとお湯を出してくれてあたたかい仕組み。
ところが妻と母の浸かった「かえる」はホーという口はするもののちっともお湯を出してはくれず、結果お湯はどんどんと冷め、しまいには寒くなってしまったのだった。ひどい。

観光地図を見ると城崎温泉の「元湯」となっている場所の横に「温泉たまご場」というのがあったので行ってみる。おんせんたまごば。すごい。楽しげ。
「温泉たまご場」は、元湯の98度の熱さのお湯に「生たまご」と「たも」をもらって浸け、ぐらぐらと茹だるさまを見て楽しむというものだった。でも時間が無い。おみやげを買わねば。
かにをわっさと買い込んで、次は酒屋さん。値段の違う同じ銘柄の地酒が並んでいたのでお店のおじさんに「あの。この『自信』と『誇り』とはどう違うのですか」と質問。おじさんは「そうね、『自信』もいいけど俺は『誇り』は捨てられないね」などと、およそお酒の話らしからぬ会話を展開させる。妻はもちろん自信を持って「誇り」を選ぶ。

大荷物で各駅停車の列車に飛び乗る。さようなら雪国。
またどこどこと揺られながら、おいしい「かに寿司」を食べてビールをのみ、貪欲にも旅情を最後まで満喫。今度はぜひ夫も。
そして帰り着いた我が家で、仕事で深夜に帰宅した夫を待ち構えて夜中の2時までかに大宴会。